感情的反応の認識と再解釈

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感情的な反応に振り回されることはないだろうか?

人間には感情が存在する。日常生活においてその影響は強い。何をするにしても感情的な反応は付きものだろう。その中でもポジティブなものとネガティブなものがある。普通に考えるとポジティブは良くてネガティブは悪いというふうに考えてしまうと思う。しかしこれでは沸き起こる感情に常に認識を振り回されることになると思う。

起こるできごとはコントロールしきれないので、主観的に嫌だと思うこともあれば楽しいと思うこともある。しかしながらどちらが良い悪いということはない。ただ勝手にそうやってラベルを付けているだけだ。そのラベル付けに気づくことができると、本当に望ましい反応が見えてきたりする。

例えば、目先ではなんのメリットもないし、苦痛でしかない作業があるとしよう。しかし、これは長期的に続ければ非常にメリットのあるものだとする。筋トレのようなものを考えるとわかりやすい。すぐに筋肉がつくわけではないし、行為自体はしんどいものだ。しかしながら長期的に考えればメリットがあることはわかる。むしろ筋トレはこのメリットがわかりやすい。だからこそ続けられる人も多いだろう。

筋トレで言うならば、一段感情的な反応を塗り替える意識が働いていると言える。「しんどい」から何も考えなければ続けられない。しかし、先々の変化を理解し、それに基づいて自分を制御するからこそ筋トレができる。これは他のことにも当てはまる。ムカつくことがあったからといって、八つ当たりしたら損をするのは自分だ。しかし反射的にそうやってしまうことがある。これは出来事から反応までの間に再解釈のフェーズを挟めていないからだ。

これは言葉にすると単純な話なのだが、実際に感情を検知して再解釈することは多くの人にとって難易度が高いだろう。その能力を高めるためにやってほしいのが瞑想である。個人的には十分な睡眠と瞑想のメリットは非常に大きいのだが、この2つについては実践してくれる人が少ない気がしている 笑

それはそれとして、瞑想して自分の感情的反応に気づくことが増えると、瞬時に長期的な視点で思考を展開することができるようになると思う。そういう能力の存在を意識すると、瞑想も続ける価値のある習慣だとわかってもらえないだろうか。