言語化が難しい感覚を大事にする

「なにか掴んだ気がする」と思ったときの「なにか」というのは非常に抽象的なものだ。感覚的ななにかがあるのだが、それを言葉にしようと思ってもいい表現が見つからない。説明しようと思ったらとても時間がかかる気がする。そんな感覚は成長において非常に重要だろう。なぜなら、そうした抽象的な感覚には膨大な情報量が詰まっているからである。

名言にも同じようなことが言える。名言というのはそれほど長いわけではない。短いのにハッとさせられるようなフレーズとなっているものが大半だ。その短い文字情報の中に大量の情報が詰まっているからこそ、なにかをそこから感じ取れる。だからこそ名言は語り継がれ、多くの人にひらめきを与えるのだ。

普段生活していると、名言というほどでもないが良い言葉が浮かぶこともあるだろう。それはあなたにとって重要な情報が詰まったものになっているはずだ。最初はすべてロジカルに説明できなくても問題ない。顕在的には認識できていないものを掴んでいる可能性があるからだ。もちろんいいと思ったけど勘違いだったということもあるだろう。いずれにせよ、まずは直観的なものが降りてきて、それにロジックを後付けするイメージとなる。

言語化できないからと言ってそれを重要視しないのはあまりにもったいない。重要な情報がその感覚に含まれている可能性があるのだ。