頑張らないことの重要性

どちらかといえば「頑張らないと」と思っている人の方が多いのではないだろうか。それでも最近は頑張らないことの重要性を説く話もちょくちょく聞くような気がする。僕もやはり頑張ることが大事だというある種の思い込みに近い幻想をいだいていたように思う。

なぜ「頑張らないことが重要」なのかといえば、頑張ることそのものに抵抗力が働くからである。「頑張る」というのはどうしたって、耐えたり、自然な流れに逆らったりするニュアンスを持つ。裏を返してしまえば「頑張らないとできない」ことをやろうとしているわけだ。それはそれで大事だとは思う。頑張らなくてはいけないときもある。しかしながら普段から何かを頑張り続けるのは、自然法則的に厳しいのではないかと思う。

川の流れに逆らって泳いでいくよりも、川の流れに従って泳いだほうが遠くまで行けるだろう。それだけの話である。頑張っているという意識がある時点で、単純に楽しんでやっている人間には勝てない。別に勝ち負けを気にする必要はないが、それならなおさら頑張らないでできることを徹底的に楽しんだほうがよいのではなかろうか。

とんでもない結果を出している人は傍から見れば頑張っているように「見える」。しかしながら、本人が頑張っているとは限らない。夢中になってやっているだけかもしれないのだ。実際のところは色々な人がいるので、頑張りまくって結果が出す人がいないとは言わない。でもどうせだったら、頑張らない方に張ったほうがエネルギー効率はいい。怠惰に過ごすのではない。そんなに無理しなくても続けられる、続けたくなるような、やりたいことをやっていればいいのだ。そうすれば継続もできるし、継続できるということは結果もどんどん積み重なる。どんなことであれ、積み上げられた結果というのは驚異となりうる。

今の時代、なにをやったって価値を届けられるような社会になっている。Youtuberが一番わかり易い。他にもマニアックなことで価値を届けて対価をもらえる状況は整いまくってきた。だったら、やっぱり頑張らないでできる、やりたいことをやればいい、とシンプルに思う。