悩みと丁寧に向き合う

なにかに悩むというのは自分の内側で起きることだ。 外側で起きた現象に対して何らかの意味を付与することで悩みとなる。

同じ出来事が起きても悩む人もいれば悩まない人もいるわけだ。 極端なことを言えば、心頭滅却すれば火もまた涼しである。

悩みが起きるときというのはたいてい自分の中で承認できないなにかがあるのだと思う。 仕事で結果が出せずに悩むとしたら「このくらいの結果は出せないとダメだ」という暗黙の制約があるはずだ。 それは頭の中で作り出された幻想だということにまず気づく必要がある。

とはいっても、人であれば「これはこうあるべき」というような思考は生まれてしまうだろう。 そんなときにその事実に気づくことができるだけでかなり違うと思う。

そしてそうした悩みの裏側には必ず自分の認識が抱えている問題というものがある。 例えば「完璧主義」の人は細かいことがうまくいかないだけで常に気になって悩んでしまうかもしれない。 もう少し雑な人間から見れば「そんなことどうだっていいのに」というケースはたくさんあるだろう。

こんなとき「完璧主義」を一瞬で消滅させることはなかなか難しい。 しかしながら悩みの発生源が「完璧主義」であると特定するところまではできる。 そうするだけでも視界はずいぶん変わる。

どうしようもなく悩んでいるということは執着が存在しているはずだ。 「完璧主義」であれば「完璧な状態への執着」である。 完璧であることを求める姿勢自体は悪いことではない。執着があることで勝手に苦しんでいるのだ。

そこに気づくだけで生き方も楽になるのではないだろうか。 自分を知り、より成長するためのヒントが悩みには隠されていると思う。 だからこそ悩みとは丁寧に向き合いたい。